われらアグリ応援団 第8回「仏の顔」

2021.12.25

寝不足でもタフな笑み

 

「ゆうべは仕事で2時間しか寝ていないのよ」。そう言いながらも瀬戸内寂聴さんは、インタビューに応えてくださった。

1999年の秋、当時77歳。

お体を案じて恐縮したが、そんな心配は無用だった。彼女の言葉の熱量は途切れることなく、取材が終わってみると1時間近くたっていた。30代だった私の方がへばっていた。

当時は不況を背景に全国の自殺者が3万人を超え、社会問題になっていた。ご自身もかつて2度、自死を考えたことがあると言い、あの時死ななかったから今があるのだと答えた。世の中の人たちへのエールである。

「どこを向いてもいい話はないけれど、みんなが暗い顔をしていては社会全体が不健康になります。明るく笑うのが一番なのよ」

そう語る寂聴さんは満面の笑みをこぼしていた。

ついさっきまで寝不足で不機嫌そうだったのになあ。完全にスイッチを切り替えられたご様子で、人生の酸いも甘いもかみわけた作家らしいタフな笑顔に感じ入ったものだ。

そんな彼女も99歳でお亡くなりになった。

この四半世紀、世の中は便利になったはずなのに懐は温まらない。日本の平均賃金は横ばいが続いて年に424万円。この間に1・5倍に伸びたアメリカの763万円には、はるかに及ばない。倍増した韓国にも抜かれてしまった。農家が苦しむ消費低迷は人口減やコロナのせいばかりではない。

「よもやよもや」である。政治家は何をしてきたのだろう。もしかすると、亡き父がよく言っていた「うまいこと言いの、ごっつお食らい」とはこのことか?

今、農家は厳しいやりくりを余儀なくされている。それでも出会う人たちは暗い顔一つせず、明るくインタビューに答えてくれる。寂聴さんがおっしゃった笑顔の施しだが、「仏の顔も三度まで」ということわざもある。

 

▲笑顔が一番

 

▲水橋のスマート農業実証圃。挑戦は続く

 

▲水橋のスマート農業実証圃にかかる虹。明るい将来のきざしか

 

▲インタビュー時に話題にした寂聴さんの本

 

 

○執筆者

本田光信(ほんだ・みつのぶ) 1966年生まれ、魚津市在住。平成が始まった1989年に一般紙の記者になり、社会部や文化部などで30年間執筆。退職後フリーになり、今年から日本農業新聞富山通信部ライター。かつて化石の発掘にのめりこんだ時期もあり、オウム事件の連載をしながら恐竜の足跡発見をスクープするなど記者としては変わり種。著書に「とやま恐竜時代」、共著・共同執筆多数。「文藝春秋」「新聞研究」などにも執筆歴あり。