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われらアグリ応援団 第61回 「えとの話」新たな時代に期待

たま吉くん
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われらアグリ応援団 第61回 「えとの話」新たな時代に期待

2026年の「えと」と言えば「うま」と答える人がほとんどだろう。

十二支(じゅうにし)だけで言うなら、それで正解。

ただ、ちょっと足りない。

漢字で干支(えと)と書くのは、「十干(じっかん)」と「十二支」を組み合わせるからだ。その組み合わせは全部で60通りあり、今年は「ひのえうま」である。60年に一度、同じ組み合わせがめぐってくる。生まれて60年たった人は「人生2周目」を迎えるので、赤いちゃんちゃんこを着て「還暦(かんれき)」をお祝いすることになっている。

筆者は1966(昭和41)年、前回の「ひのえうま」に生まれた。この年に生まれた子どもは全国でおよそ137万人。前後の年に比べて50~60万人も激しく減少した。

江戸時代に広まった迷信が、昭和41年の出生数に大きく影響したのである。

それは「ひのえうまの女性は気性が激しい」という、ばかげた迷信だった。

江戸時代に「八百屋お七」という女性がいた。恋こがれた男に会いたい一心で、家に火を放ち、処刑されてしまう悲劇の主人公である。お七は浄瑠璃などで「ひのえうま」の年に生まれたとされた。あくまでもドラマ上の設定であり、どこまでが実話で、どこからがフィクションなのかもよく分からない。だが、ひのえうまの年には大火が多いといった別の言い伝えや、えとそのものの火のイメージもあって、女性を蔑視する迷信につながったようだ。

そんな迷信がなぜ、のちの世にまで影響したのか。

昭和41年といえば、戦後20年がすぎている。われわれの親世代では、さすがに信じる人は少なかったのではないかと思う。一体どうしてしまったのだろう。生まれる子の将来を案じる親心だとしても、まわりの空気や世間の風当たりを気にしすぎたのではないか。今やオールドメディアと呼ばれる雑誌や新聞、ラジオ、テレビも、そのころは勢いがあったので、変なあおり方をしたのかもしれない。

いずれにせよ、うちの両親がそんな迷信に惑わされなかったから、今の私が存在する。ありがたいことである。そして、私の幼いころからの経験からすると、同級生の女性たちは心やさしく聡明な人が多かったように思う。

さて、2025年の暮れのこと。農家のみなさんに向けた富山県農村振興課のセミナーで、情報発信をテーマに講師を務めた。少しばかり脱線してこの話をしてみたら、ひのえうまの事情を知る人が2人しかいなかった。拍子抜けした一方、とても安心した。

時代は大きく変わったのである。昭和は良かったという人もいるが、私は「令和」の今の方が、あらゆる面で断然良いと思っている。

「天馬空を行く」。天上の馬が自由に空をかけめぐる。新たな時代に期待したい。

 

日本農業新聞富山通信部ライター 本田光信